おかまのわたし
自分を、「おかまです」と語っていると、本当にそうなってくる。
自分が、周りが、おかまについて考えれば考えるほど私は「おかま」になっていく。
周囲が、ああ、それがおかまなんだ・・・と考えれば考えるほど「おかま」は定着する。
定着した「おかま」は固定化する。
「おかま」に先が見えてくる。
すると、苦しくなってくる。
そんなの違う!言いたい事は別にあるの!
もっと違う表現がしたいの!!
わたしはおかまじゃない!!
って言う。
じゃあ、つぎは・・・
「変態」でいこう!
すると、変態が固定化する。
・・・その前に、その差別的な色彩に自分で耐えられない!
じゃあ、「ゲイ」で!
って、解釈広すぎて表現できてる気がしない!!
「おいおい、君は自分を知りたかったんじゃなかったのかい?」
「せっかくおかまというカテゴリーに収まったと思ったのに、何が不満なんだ!」
なんででしょ〜?何が不満かわかりません。
わたしは自分を語ります。
「私は・・」と自己紹介をしなきゃだからです。
でも語り尽くせません。
はみ出ます。
新しい語り方を見つけるのには努力を要します。
実践の中で、他者との関わりを通じて見つけます。
自分の感覚に訴えられたものを真似して語ります。
でも、語るとそのうち固定化するのです。
じゃあ、語ることに意味はあるのでしょうか。
そのうち、はみ出すのにねぇ。